会社員時代は良いこともあった反面、嫌なことも沢山ありました。
今回は、会社員時代の嫌な出来事のやり過ごし方の話。
今は嫌なことはほとんど起きなくなった
会社を辞めたら、日常生活の中で「嫌なこと」というのはほとんど起きなくなりました。
その代わり、「良いこと」というか「喜ばしいこと」というのもほとんど起きません。
良いことも嫌なことも人と関わることで発生するのだということをつくづく感じています。
今は基本的に無風です。凪。
でも、それを望んだのは自分なので不満はありません。今のところは。
投資と一緒ですよね。結局はどのくらいの振れ幅を取るのかという問題で。
人と触れ合わない生活は、感情の振れ幅を小さくさせます。
それが良いのか悪いのかはわかりませんが、、、まぁ決して良いことではないのでしょうね。
良く言えばタフ、悪く言えば繊細さに欠ける
とはいえ、元々私は割と淡々としたタイプなので、感情的になることは少ないほうだと自認しています。
職場では「周りに流されないタフな人」、悪く言えば「空気を読まず繊細さに欠ける人」だと思われていたふしがありますが、まぁ概ねそんな感じです。
私の上司だった人は気分屋でパワハラ気質。
そんな上司の下で、病むことも、不満を訴えることもなく、長年それなりに上手くやっていた実績からそんな評価になっていたようですが…。
まぁ実際のところ理不尽に怒られることはしょっちゅうで、でも、面倒だなぁとは思ってもその人自体は別に嫌いではなかったし、やっぱりちょっと繊細さに欠けていたのかもしれません。
この感情もきっと今だけ
それでも、嫌な出来事というのは当然ありました。
人から不愉快なことや納得できないことを言われたりしたことも、人並み程度にはあると思います。
そんな嫌な出来事に遭遇したときに、私がいつも考えていたのはこれです。
死ぬときにはどうせこのことは思い出さない。
子ども時代にあった嫌な出来事や恥ずかしい出来事の記憶、どんどん風化していませんか? 私だけですか?
30歳くらいでその事に気づいてから、嫌なことも適当に流せるようになりました。
かつてあんなに嫌な思いをした出来事も、今振り返ると当時ほどの感情はよみがえらない。
だから、今はすごく不愉快な気持ちだけど、きっとそれは今だけで、どうせ死ぬときに思い出すほどの出来事ではないんだろうなぁ…って。
そう考えると、ほとんどのことがもうどうでもよくなってきます。
他人事体質なんですよね…。
世の中の大半の出来事は自分とは関係ないと思っているし、自分のことですらどこか他人事というか…。
まぁ仕事なんて病んでまでするほどのことではないので、いざとなれば緊急脱出もやむを得ません。
ただ、それが自分の身近なところで起こった場合には、「もうちょっと適当にやり過ごすわけにはいかなかったんだろうか…」と思ってしまうのが正直なところ。
自分が残された立場だったらなおさらです。
突然来なくなるような形で休んだり抜けたり辞めたりする方々を見て「皆さん随分繊細なんですね…」と思ってきた私は、やっぱり繊細さや思いやりに欠ける部分があるんでしょうね。。。
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